講座・講演

28日講座が中日新聞で紹介されました

講座・講演

5月28日日曜日、栄中日文化センターで1dayセミナー開催 

父信秀は連歌もやる教養人でしたが、信長には文化的素養がない。元服以降、そんなことをする余裕もなく、10代後半は戦い続けざるを得なかった、そのあたりの事情をお話します。28日の日曜日、どなたでもご参加いただけます。
現地ガイドツアー・執筆・講演のご依頼

5月13日、午後2時から1時間、名古屋駅前名鉄百貨店TSUTAYAブックストアで無料トークショー開催

連載・本

中日新聞の「みんなの本」で取り上げていただいております

ちょっと前になりますが、ありがたい書評をいただきました。お読みいただければ幸いです。
講座・講演

無料トークイベントのお知らせ

ミーティング的な。無料ですので、気軽にご参加いただきたく。名鉄百貨店本館  8階〈ツタヤ ブックストア〉特設会場です。
尾張時代の信長

どんどん進む若き信長の研究。本や講座のご案内

「中日新聞Web達人に訊け」に新しい記事をアップしました。こちらからご覧ください。
新説!桶狭間の戦い

「どうする家康」第四回で、大高城は義元を誘い出すエサだった説が取り上げられていました

「どうする家康」第四回で、ムロツヨシ扮する秀吉が、一つの見方としながら大高城封鎖は義元を誘い出すためのエサというのを聞いて、のけぞりました。私が一年半ほど前に「歴史探偵」に出演した時に話したことが採用されていました。ありがたいことですが、こ...
連載・本

中日新聞webに「どうする家康」の感想を書いてみました。

「どうする家康」一回目の放送を観て書いたものですが、中日新聞webに掲載されました。二回目を観るとますますツッコミどころ満載なんですけど、さすがに時代考証は大丈夫かという声も上がりつつあるようで。どうなる「どうする家康」w (写真は家康初陣...
1500年代の尾張と西三河と美濃

いわゆる濃姫や桶狭間後の瀬名姫に子がないのはいったい?

大河ドラマ「どうする家康」では家康と瀬名姫が、東映大作「レジェンドアンドバタフライ」では信長と濃姫が、共にずっとラブラブというのが、物語の骨幹となっているようです。まあ、それに水を指すのですが、桶狭間の後に家康と瀬名の間には子供ができていま...
尾張時代の信長

名古屋を代表するライターの大竹くんがヤフーで『若き信長の知られざる半生』を紹介してくれました

歴史マニアではない人が読むと、こんなふうに面白がってもらえるのか、と気付かされました。ヤフーニュース 「キムタク信長」みたくカッコよくはなかった(?)。超話題作を向こうに回す新説・信長本が出版!新釈信長史『若き信長の知られざる半生』全国の書...
1500年代の尾張と西三河と美濃

1559(永禄2)年、信長は初めての上洛の時、大和路を使ったのではないか

さて、『若き信長の知られざる半生』でも少し書いていますが、今回はあまり知られていない(と言うか私が考えている)信長の三男とされる信孝の出生に関して、書いておきたいと思います。織田信孝は1558(永禄元)年の生まれで、母は坂氏の女とされていま...
新説!桶狭間の戦い

2022年12月20日『若き信長の知られざる半生』ついに発売!

尾張のうつけ者が桶狭間の戦いで今川侵略軍を撃破するまで、その26年の歩みを解く 新釈織田信長史!定価: 1,650円(税込)体裁: 四六判/オールカラー164P発売元:ぴあ株式会社
新説!桶狭間の戦い

新解釈による桶狭間合戦像7 織田軍、義元本陣へ突入

 信長は中島砦を出撃すると、鳴海~桶狭間道(旧東海道筋)を進撃して、高根山などの「山際」すなわち手越川を渡る鎌研橋あたりで、撤収を終え高根山の峠に陣取って鳴海~桶狭間道 (長坂道)を遮断した今川方の殿軍と対峙した。当時、中嶋砦を出て東南に当...
新説!桶狭間の戦い

新解釈による桶狭間合戦像6 十九日の織田方の動き

 信長の軍勢が素早く行動できるのは、 直率兵力である旗本以外の国衆についてはいちいち清洲に集合させるのではなく、信長の向かう場所に集合させる方法をとっていたからだろう。その場合、不測の事態に陥る危険のある夜間の行動を避け、夜明けを待って行動...
新説!桶狭間の戦い

新解釈による桶狭間合戦像5 十八日夜の織田方の動き

 一方、織田方の状況はどうだったか。話を合戦前日 の十八日の夜に戻そう。『天理本』には、織田方では合戦前夜(十八日夜)に軍議があり、信長が国境で迎撃することを主張して重臣らの籠城論を断固退けていたことが書かれている。これは、前述した前線から...