新説!桶狭間の戦い

新説!桶狭間の戦い

研究史と通説4

【「正面攻撃説」の詳細】  ここで、現在定説となっている藤本氏の正面攻撃説について確認しておきたい。この説は概略次のような内容である。  駿府を出発し、五月十七日に池鯉鮒 (知立)に到着した義元は、十八日には沓掛城に入り宿泊。...
新説!桶狭間の戦い

研究史と通説3

【地形と道】  さて次に、当時の桶狭間の「地形」と「道」に関して基本的な事柄を記しておく。既存の説は地形的に実行不能な説が多いからである。  桶狭間の戦いで戦場となった地域は、名古屋市緑区桶狭間の周辺で、現在は名古屋市と豊明市...
新説!桶狭間の戦い

研究史と通説2

【桶狭間の戦いについて記された史料】  次に、桶狭間の戦いの研究に用いられる史料について説明しておきたい。基礎となる史料だが、まず何より重要なのは『信長公記」である。信長の家臣太田牛一が著した信長の伝記だ。桶狭間の戦いについて記載が...
新説!桶狭間の戦い

研究史と通説1

「迂回奇襲」説と 現代の定説「正面攻撃」説  筆者の桶狭間合戦像を述べる前に、これまでの定説を見ていきたい。  明治以降、長い間定説とされていたのは、日本陸軍参謀本部が明治三十二年(一八九九)に発行した『日本戦史 桶狭間役』に...
新説!桶狭間の戦い

『歴史群像』2019年10月号掲載 新解釈「桶狭間の戦い」     文=かぎや散人(歴史研究家)  構成=水野誠志朗(ライター)

まず、雑誌『歴史群像』で発表した、新解釈「桶狭間の戦い」の全文を掲載します。これはかぎや散人氏の原稿を水野が構成して、さらに歴史群像編集部の校閲を経たものです。やや難解な部分は、おいおい解説を加えていきます。 信長は本当に「...
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