新説!桶狭間の戦い

新説!桶狭間の戦い

「どうする家康」第四回で、大高城は義元を誘い出すエサだった説が取り上げられていました

「どうする家康」第四回で、ムロツヨシ扮する秀吉が、一つの見方としながら大高城封鎖は義元を誘い出すためのエサというのを聞いて、のけぞりました。私が一年半ほど前に「歴史探偵」に出演した時に話したことが採用されていました。ありがたいことですが、こ...
新説!桶狭間の戦い

2022年12月20日『若き信長の知られざる半生』ついに発売!

尾張のうつけ者が桶狭間の戦いで今川侵略軍を撃破するまで、その26年の歩みを解く 新釈織田信長史!定価: 1,650円(税込)体裁: 四六判/オールカラー164P発売元:ぴあ株式会社
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新解釈による桶狭間合戦像7 織田軍、義元本陣へ突入

 信長は中島砦を出撃すると、鳴海~桶狭間道(旧東海道筋)を進撃して、高根山などの「山際」すなわち手越川を渡る鎌研橋あたりで、撤収を終え高根山の峠に陣取って鳴海~桶狭間道 (長坂道)を遮断した今川方の殿軍と対峙した。当時、中嶋砦を出て東南に当...
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新解釈による桶狭間合戦像6 十九日の織田方の動き

 信長の軍勢が素早く行動できるのは、 直率兵力である旗本以外の国衆についてはいちいち清洲に集合させるのではなく、信長の向かう場所に集合させる方法をとっていたからだろう。その場合、不測の事態に陥る危険のある夜間の行動を避け、夜明けを待って行動...
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新解釈による桶狭間合戦像5 十八日夜の織田方の動き

 一方、織田方の状況はどうだったか。話を合戦前日 の十八日の夜に戻そう。『天理本』には、織田方では合戦前夜(十八日夜)に軍議があり、信長が国境で迎撃することを主張して重臣らの籠城論を断固退けていたことが書かれている。これは、前述した前線から...
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新解釈による桶狭間合戦像4 撤退する義元

 こうした態勢を整えたうえで、義元は松平元康らに鷲津と丸根の両砦を攻撃させ、攻略を終えると大高城番を元康に交代させた。大高城から兵を撤収させるだけでよいなら、前夜に兵を入れる必要もなければ、翌朝に多大な犠牲を払ってまで敵の付城を排除する必要...
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新解釈による桶狭間合戦像3  十九日午前中の今川勢の動き

 十九日未明、松平元康の隊が丸根砦を攻撃した(頁地図参照)。この場合、戦術の常識では丸根・鷲津砦を攻略するためには、丸根と鷲津の攻撃隊を用意するだけでは足りない。砦の後詰(救援)として中島砦方面から来るだろう信長の軍勢を迎撃する準備をしてい...
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新解釈による桶狭間合戦像2 合戦の前日、義元は どこに泊まったか?

 義元の足取りは「首巻」では「五月十七日今川義元沓懸へ参陣」としており、織田方は十七日に義元が沓掛に参陣したと認識していたが、これは後述するように誤認である。 また、合戦は十九日だから十八日は空白である。研究者は皆、義元は沓掛城に宿営したと...
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新解釈による桶狭間合戦像1 桶狭間合戦への道

 筆者の説を述べる前に、桶狭間の戦いに至るまでの経緯をざっと見ておこう。これに関しても昨今急速に研究が進んでおり、最新の説を踏まえつつ、筆者の見解も含めて紹介する。 駿河と尾張との間には、長い戦いの歴史がある。信長の生まれる二〇年ほど前の永...
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研究史と通説4 「正面攻撃説」の詳細

 ここで、現在定説となっている藤本氏の正面攻撃説について確認しておきたい。この説は概略次のような内容である。 駿府を出発し、五月十七日に池鯉鮒 (知立)に到着した義元は、十八日には沓掛城に入り宿泊。一方、同日夜、松平元康隊が大高城に兵糧を入...
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研究史と通説3 地形と道

 さて次に、当時の桶狭間の「地形」と「道」に関して基本的な事柄を記しておく。既存の説は地形的に実行不能な説が多いからである。 桶狭間の戦いで戦場となった地域は、名古屋市緑区桶狭間の周辺で、現在は名古屋市と豊明市にまたがる一帯である。しかし特...
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研究史と通説2 桶狭間の戦いについて記された史料

 次に、桶狭間の戦いの研究に用いられる史料について説明しておきたい。基礎となる史料だが、まず何より重要なのは『信長公記」である。信長の家臣太田牛一が著した信長の伝記だ。桶狭間の戦いについて記載があるのは、信長が上洛した永禄十一年(一五六八)...
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研究史と通説1 「迂回奇襲」説と 現代の定説「正面攻撃」説

 筆者の桶狭間合戦像を述べる前に、これまでの定説を見ていきたい。 明治以降、長い間定説とされていたのは、日本陸軍参謀本部が明治三十二年(一八九九)に発行した『日本戦史 桶狭間役』に記載されたもので「迂回奇襲」説と呼ばれる。本書は士官養成用に...
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『歴史群像』2019年10月号掲載 新解釈「桶狭間の戦い」     文=かぎや散人(歴史研究家)  構成=水野誠志朗(ライター)

まず、雑誌『歴史群像』で発表した、新解釈「桶狭間の戦い」の全文を掲載します。これはかぎや散人氏の原稿を水野が構成して、さらに歴史群像編集部の校閲を経たものです。やや難解な部分は、おいおい解説を加えていきます。信長は本当に「正面攻撃」で勝利し...