新説!桶狭間の戦い 研究史と通説3 地形と道 さて次に、当時の桶狭間の「地形」と「道」に関して基本的な事柄を記しておく。既存の説は地形的に実行不能な説が多いからである。 桶狭間の戦いで戦場となった地域は、名古屋市緑区桶狭間の周辺で、現在は名古屋市と豊明市にまたがる一帯である... 2022.01.17 新説!桶狭間の戦い
新説!桶狭間の戦い 研究史と通説2 桶狭間の戦いについて記された史料 次に、桶狭間の戦いの研究に用いられる史料について説明しておきたい。基礎となる史料だが、まず何より重要なのは『信長公記」である。信長の家臣太田牛一が著した信長の伝記だ。桶狭間の戦いについて記載があるのは、信長が上洛した永禄十一年(一五六八... 2022.01.17 新説!桶狭間の戦い
新説!桶狭間の戦い 研究史と通説1 「迂回奇襲」説と 現代の定説「正面攻撃」説 筆者の桶狭間合戦像を述べる前に、これまでの定説を見ていきたい。 明治以降、長い間定説とされていたのは、日本陸軍参謀本部が明治三十二年(一八九九)に発行した『日本戦史 桶狭間役』に記載されたもので「迂回奇襲」説と呼ばれる。本書は士... 2022.01.17 新説!桶狭間の戦い
連載・本 名古屋市内48万世帯へ配布されるシニア情報誌「ローズ」22年1月号に「若き信長の軌跡」第19回を書きました。 おそらく義元が居たはずの場所から、義元と同じ風景が今も見られるのは素晴らしい。樹木の伸びは著しいので、ここ数ヶ月が一番見晴らしよく眺められると思います。駐車場はありませんので、歩きでどうぞ。 2022.01.16 連載・本
新説!桶狭間の戦い 『歴史群像』2019年10月号掲載 新解釈「桶狭間の戦い」 文=かぎや散人(歴史研究家) 構成=水野誠志朗(ライター) まず、雑誌『歴史群像』で発表した、新解釈「桶狭間の戦い」の全文を掲載します。これはかぎや散人氏の原稿を水野が構成して、さらに歴史群像編集部の校閲を経たものです。やや難解な部分は、おいおい解説を加えていきます。 信長は本当に「... 2022.01.16 新説!桶狭間の戦い
尾張時代の信長 はじめに この信長像を見るたびに、信長は美濃の人ではなく「尾張の人」であると、若干口惜しく思います。尾張時代の信長に関して、色々ここでまとめておこうと思います。 2022.01.15 尾張時代の信長