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ミーティング的な。無料ですので、気軽にご参加いただきたく。名鉄百貨店本館  8階〈ツタヤ ブックストア〉特設会場です。
若き信長

どんどん進む若き信長の研究。本や講座のご案内

「中日新聞Web達人に訊け」に新しい記事をアップしました。 こちらからご覧ください。
若き信長

「どうする家康」第四回で、大高城は義元を誘い出すエサだった説が取り上げられていました

「どうする家康」第四回で、ムロツヨシ扮する秀吉が、一つの見方としながら大高城封鎖は義元を誘い出すためのエサというのを聞いて、のけぞりました。私が一年半ほど前に「歴史探偵」に出演した時に話したことが採用されていました。 ありがたいことですが、...
尾張時代の信長を巡る

中日新聞webに「どうする家康」の感想を書いてみました。

「どうする家康」一回目の放送を観て書いたものですが、中日新聞webに掲載されました。二回目を観るとますますツッコミどころ満載なんですけど、さすがに時代考証は大丈夫かという声も上がりつつあるようで。どうなる「どうする家康」w (写真は家康初陣...
尾張/知多/西三河/美濃

いわゆる濃姫や桶狭間後の瀬名姫に子がないのはいったい?

大河ドラマ「どうする家康」では家康と瀬名姫が、東映大作「レジェンドアンドバタフライ」では信長と濃姫が、共にずっとラブラブというのが、物語の骨幹となっているようです。まあ、それに水を指すのですが、桶狭間の後に家康と瀬名の間には子供ができていま...
若き信長の知られざる半生

名古屋を代表するライターの大竹くんがヤフーで『若き信長の知られざる半生』を紹介してくれました

歴史マニアではない人が読むと、こんなふうに面白がってもらえるのか、と気付かされました。 ヤフーニュース 「キムタク信長」みたくカッコよくはなかった(?)。超話題作を向こうに回す新説・信長本が出版! 新釈信長史『若き信長の知られざる半生』全国...
尾張時代の信長を巡る

1559(永禄2)年、信長は初めての上洛の時、大和路を使ったのではないか

さて、『若き信長の知られざる半生』でも少し書いていますが、今回はあまり知られていない(と言うか私が考えている)信長の三男とされる信孝の出生に関して、書いておきたいと思います。織田信孝は1558(永禄元)年の生まれで、母は坂氏の女とされていま...
若き信長の知られざる半生

2022年12月20日『若き信長の知られざる半生』ついに発売!

尾張のうつけ者が桶狭間の戦いで今川侵略軍を撃破するまで、その26年の歩みを解く 新釈織田信長史!定価: 1,650円(税込)体裁: 四六判/オールカラー164P発売元:ぴあ株式会社
新説!桶狭間の戦い

新解釈による桶狭間合戦像7 織田軍、義元本陣へ突入

信長は中島砦を出撃すると、鳴海~桶狭間道(旧東海道筋)を進撃して、高根山などの「山際」すなわち手越川を渡る鎌研橋あたりで、撤収を終え高根山の峠に陣取って鳴海~桶狭間道 (長坂道)を遮断した今川方の殿軍と対峙した。当時、中嶋砦を出て東南に当る...
新説!桶狭間の戦い

新解釈による桶狭間合戦像6 十九日の織田方の動き

信長の軍勢が素早く行動できるのは、 直率兵力である旗本以外の国衆についてはいちいち清洲に集合させるのではなく、信長の向かう場所に集合させる方法をとっていたからだろう。その場合、不測の事態に陥る危険のある夜間の行動を避け、夜明けを待って行動す...
新説!桶狭間の戦い

新解釈による桶狭間合戦像5 十八日夜の織田方の動き

一方、織田方の状況はどうだったか。話を合戦前日 の十八日の夜に戻そう。 『天理本』には、織田方では合戦前夜(十八日夜)に軍議があり、信長が国境で迎撃することを主張して重臣らの籠城論を断固退けていたことが書かれている。これは、前述した前線から...
新説!桶狭間の戦い

新解釈による桶狭間合戦像4 撤退する義元

こうした態勢を整えたうえで、義元は松平元康らに鷲津と丸根の両砦を攻撃させ、攻略を終えると大高城番を元康に交代させた。大高城から兵を撤収させるだけでよいなら、前夜に兵を入れる必要もなければ、翌朝に多大な犠牲を払ってまで敵の付城を排除する必要は...
新説!桶狭間の戦い

新解釈による桶狭間合戦像3  十九日午前中の今川勢の動き

十九日未明、松平元康の隊が丸根砦を攻撃した(頁地図参照)。この場合、戦術の常識では丸根・鷲津砦を攻略するためには、丸根と鷲津の攻撃隊を用意するだけでは足りない。砦の後詰(救援)として中島砦方面から来るだろう信長の軍勢を迎撃する準備をしていな...
新説!桶狭間の戦い

新解釈による桶狭間合戦像2 合戦の前日、義元は どこに泊まったか?

義元の足取りは「首巻」では「五月十七日今川義元沓懸へ参陣」としており、織田方は十七日に義元が沓掛に参陣したと認識していたが、これは後述するように誤認である。 また、合戦は十九日だから十八日は空白である。研究者は皆、義元は沓掛城に宿営したと信...
新説!桶狭間の戦い

新解釈による桶狭間合戦像1 桶狭間合戦への道

筆者の説を述べる前に、桶狭間の戦いに至るまでの経緯をざっと見ておこう。これに関しても昨今急速に研究が進んでおり、最新の説を踏まえつつ、筆者の見解も含めて紹介する。  駿河と尾張との間には、長い戦いの歴史がある。信長の生まれる二〇年ほど前の永...