尾張/知多/西三河/美濃

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正光寺砦はなぜわからなくなったのか

『信長公記』天理本首巻に「大高の南に小川衆(水野信元勢)を置いた」というのは、尾張徳川九代宗睦が内藤東甫に調査させた地誌『張州雑志』(1789)に「正光寺砦 村ヨリ東南五町計ニ有ト云」とされた正光寺砦のことと考えられます。『歴史探偵』で数年...
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いわゆる濃姫や桶狭間後の瀬名姫に子がないのはいったい?

大河ドラマ「どうする家康」では家康と瀬名姫が、東映大作「レジェンドアンドバタフライ」では信長と濃姫が、共にずっとラブラブというのが、物語の骨幹となっているようです。まあ、それに水を指すのですが、桶狭間の後に家康と瀬名の間には子供ができていま...
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信長の時代、守山城と木が崎は陸続きだった

先日の東海古城研究会の守山城ツアーで、明和4年(一七六七)に矢田川の大洪水があり、それまで長母寺(木が崎)の南を流れていた矢田川が、長母寺と宝勝寺(信長の時代の守山城)の間にあった陸地部分を突き破って西に流れ、流路が大きく変わったことを知り...