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岐阜市歴史博物館で織田信長と美濃・尾張展

岐阜城の麓、信長の館のあった場所近くに建つ岐阜市歴史博物館で「織田信長と美濃・尾張展」が開催されています。先日行ったのですが、三重大学の藤田達生先生の記念講演を聞いたところでタイムアップ。残念ながら展示は結局まだ見ていません。展示物を見たらまたレポートしたいと思いますが、藤田先生の講演「織田政権の達成-岐阜時代を中心に-」ではなかなか充実したお話が聞けました。   改革者である信長は、新たな価値観を提示する思想家であり、その思想をもとに周囲のみならず次代を育てる教育者であるという骨子のお話でした。兵農分離から人材育成・次世代教育、北伊勢攻めに観る環伊勢湾政権ネットワーク概念、など興味深い内容です。先生の話は一度聞きたいと思っていましたので、満足です。その楽しい話しぶりはエンターテイメントとしても成り立つほどw   戦国時代の地方分権から、「やがて」天下が統一された、というのが歴史の常識とされているのですが、しかし、「自然に」分権が集権に移行するわけがなく、それを解き明かした説はないとのこと。それゆえ信長が重要になってくるわけです。信長の考えていた中央集権構想が、家康につながり、徳川政権が安定的な政権運営を行ったということになります。   「信長公記で追う桶狭間への道」で取り上げた26歳くらいまでは、まだ信長の思想家という面はあまり出ていません。先々どうしたら良いかを闘いながら考えていたという感じですが、桶狭間以降の信長は、どう行政を運営したら天下のためになるかを考え始めたようです。岐阜を攻め落とす間の数年は、単なる武力行使ではなく、幕府や朝廷といった当時の中央権力との関係性を調整していたわけですね。   ところで、信長の天下布武でいう天下というのは、日の本の国のことではなく、京都という意味のようです。このあたりはなんだか大きく誤解されているようですね。京都をどう治めて、天皇を(いい意味で)どう利用するか、やはりそのあたりに信長の最も大きな課題があったようで、それゆえ、悲劇的な最後に結びつくのでしょう。逆に言えば、天下(京都)と距離を保てた徳川家康が最終的な勝者となったがゆえに、江戸時代は安定したのかもしれません。   「信長公記で追う桶狭間への道」以降の数年間、稲葉山城入城までのお話もなんとかまとめたいと思うようになって来ました。特に小牧城の存在が面白いようです。小牧城は美濃攻めの拠点に過ぎないのか、あるいは安土城にも比する信長の理想都市構想によるものなのか。興味深いですね。   なお、講演で聞いた信長の思想に関しては、また今度書きたいと思います。

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