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太田牛一のいう一里は約4キロではないらしい!?

中日文化センターの「織田信長文書を読む」という講座に出てますが、講師の萩原淳也先生から素晴らしい指摘をいただきました。距離の一里は江戸期になって約4キロというのが当たり前になったのですが、一里という単位には4キロという距離とは別に、約500メートルという距離もあったとのこと。信長公記の一里はその二つが混同しているのではないかとのお話でした。 あとで調べてみるとウィキでは、古代中国の周代に作られた一里は約500m。そして日本でも歩く時間のかかり方によって一里の長さは様々だったという記述もありました。一里を約4キロと決めたのは江戸期とのこと。となると、織豊期の太田牛一の書く一里は一体何キロのことだったのでしょうか。 ということで、信長公記の一里を常に4キロと考えると話が合わないことが多い(赤塚合戦場所とか、村木攻撃の船の航路とか)のも納得できます。例えば1554年信長20歳の時、村木砦を目指して熱田を出た船は20里を1時間で進んだと書かれていますが、これは「信長公記で追う桶狭間への道」の中で書いたように、時速80キロも出るはずがなく完全におかしい記述です。 もしこの場合、海の上ゆえ地上の一里は適応されないので、普遍的な数字としての中国の一里を太田牛一が使ったとしたら、20里で約10キロ、つまり船は時速10キロという常識的な速度で進み、「桶狭間への道」で書いたとおり、約12キロほど先の東海市あたりについたということでいいのではないかと思います。 こうして他の距離の話も再検討してみると、また面白いことがわかってくるかもしれません。

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